onco chishin

4人の子育てについてとその他いろいろ

読書日記ー桐野夏生さんにはまっている(2)

思うところあり少し書き直しました。表題1の続きです

tsukimin.hatenablog.jp

 

『砂に埋もれる犬』

「砂に埋もれた」ではなく「埋もれる」でした、失礼いたしました
児童虐待がテーマのお話。母親と同居人の男から虐待を受けて育った少年を中心に描かれ、虐待って児相が保護したら一件落着でしょ、と思ってる人に「そう単純で簡単ではない」ことを考えさせてくれます
 
主人公の少年はとても利発で、自分の置かれた状況の理不尽さをちゃんと理解し、助けてくれそうな大人を見極めSOSを発信します
しかし幼いころの虐待体験による人格形成の歪みは大きく、普通の生活を送ることは簡単ではなく彼を次第に追い詰めていく
自力では這い上がることができない、まさしく砂に埋もれていく犬のようにもがき続ける様が大変切ない
 
東京都知事が次々と子育て政策を打ち出すなど、子育ては親だけではなく社会全体で担おうという風がようやく吹いてきた感はありますが
児童虐待はといえば、たまにニュースで取り上げられた後、しばらく世間も感情的になり、ああだこうだと大いに関心を持つけれど、1カ月もすると忘れ去られ他人事になってしまうような
故に政治家も本気モードにはならず、抜本的な解決策にはたどり着かずまた悲劇が起こるの繰り返し
衝動的にニュースを日々消費していく私たちって、虐待の背景や真実をちゃんとわかってるのだろうか、そんな疑問を常々から抱いていたところです
 
勿論、一般の人だってぼーっと生きてるわけじゃなくて、自分の生活のために必死で毎日働いてるわけです
他人の子どもに関心が続かなくてもいた仕方ないと思う
でも、ニュースに流れないと我が事に感じられない私たち、という自覚は必要かな
 
また、虐待は絶対にダメだ、と思う善意の人がいたとして、この主人公のような少年が目の前にいたらどうするだろうか。我が子と同じ学校にいたらどう思うだろうかと
同じく虐待を描いた作品で、正義の人が喜ぶような美談が入った物語も読んだことがありますが(それが悪いわけではないと思います)一切ない潔さはさすが
 
児童虐待を肯定する大人など、きっといないでしょう
ただ、その子が良い子ではなかった場合はどうなのか?ヨイ子になれなかった責任は誰にあるのか
子どもたちにとっては保護されてからも試練の連続なのに、保護された後どう育てるかについては議論が深まらない
もちろん専門性がないとこのような困難な課題に対処できないと思うし、小説に描かれているように、現場の人は根気強く頑張っておられるのでしょう
一般人がそもそも口を出せることではないかもしれない
でも社会の中で彼らを受け入れるためには、周囲の理解がないとうまくいかないこともあるはず
 
最近は、少子化をどうにかするためには親にお金をどんどん配れ、みたいな議論もあって
確かにそれで子どもは増えるかもしれないけど、虐待も増えてしまうのではないかと思ったりします
子育てにはお金がかかるから産みたいのに諦める、なんてことはないようになればいいとは思うけど
今の少子化議論にはなにか違和感を感じる。誰の為に増やしたいの?って思う
 
今生きてる子たちを幸せにする方が先で、子どもがどんな家庭に生まれたとしても幸せになれる社会なら、自然に増えていくのではないかな
と小説を読んでさらに思いが深まります