特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
新年あけまして、昨年からの疲れがたまっていたのでしょうか、ぎっくり腰になってしまいました(大泣)
今シーズンなんですね。最近勤め始めた職場では私が二人目です
過去に何度かやったことはあるものの、ここ2年ほどは無事で過ごしていたのが油断大敵
そしてこんな時に決まって夫は出張です。コロナ以降は連日リモートワークだったのに(-_-)
先月、子どものコロナ感染で仕事を結構休んでいたので、これ以上休むわけにいかぬと無理して行ったら急激に悪化しました
よろよろと歩いてる私を誰か目撃したのか全くの偶然か?訪問マッサージのチラシがポストに入っていたのが大変気持ち悪かった
さてお題、今年やりたいことは何か。そう聞かれたらつい「やりたいこと」ではなく「今年の抱負」を考えてしまう私は、根っからの真面目人間なのだと思う
今年「やるべきこと」は、ぎっくり腰にならないための筋力強化でしょう
その思考はきっと、子どものころ元旦は毎年父に「今年の目標はなんだ」と聞かれ、これに答えないとお年玉はやらないと脅され
そして目標を年間カレンダーに書かれて一年間毎朝見るという経験からだと
私も今では子の親となり、そんな父の気持ちは痛いほどよくわかります
年の節目には志を持ち、目標に向かって頑張るような立派な人間になってほしいとの思い
でも、私にとってはお年玉を貰うための儀式だったに過ぎず、効果はあったかと言えば?????なので我が子にはしていません
そして大人になった私がこんな記事を書くのも勿論、アマゾンのギフトカードを貰うために過ぎない
もしこれでギフトカードがもらえたら、父の教えは無駄ではなかった(父の期待通りかはさておき)
いや父の教えが間違ってはいないことはわかっています。世の中で成功した立派な人は、当然高い志を持っていたからそのようになった
でも私、今から立派な人になる必要ある?とも思う
そろそろ自分を認めてあげよう。抱負ではなく、やりたいことだけを考えよう
筋力強化だって、自分が痛い思いしないためにやるんだ、家事をするためじゃない
子どもが生まれてすぐの時、人間って「飲んで(食べて)出す」動物で
「虫」みたいだなと。もちろん可愛いのだけど。それが生きているということなんだと思った
でも目が見えるようになると「喜」の感情が生まれて、笑いかけるとにっこりする
そしてお腹がすいたとか体感的に不快だという理由以外に、相手にしてもらえないなど感情で泣くようになる
最初は飲んで出すだけの無表情な動物だった赤ちゃんが、喜と哀を知って感情のある人間になるんだな、と思いました
脱線ですが、ここまで書いてふと、学校ではマスクはそろそろ外さないといけないんじゃないかなと思った
そう、「喜」がないと、人間として生きていることにはならないのだ
「抱負」をつい考えようとする思考を振りほどき、純粋に「やりたいこと」だけを考えてみる
すると月並みですが、推しのライブに行くことと結論
子育てがようやくひと段落した昨年から、精力的にライブに行くようになりました
こんな楽しいことを今までやれてなかった自分は、全く世間知らずで可哀そうな人でした
昨年もしてたことだけど今年も引き続きやりたい。そのために仕事も頑張る
前述した父、もう足腰がすっかり弱ってるのに、自分でちゃんと歩けるようにと毎朝散歩、夜のスクワットが日課となっています
認知症気味になった後輩を喫茶店に誘うなどしているそうで、その気力には頭が下がる
人間はただ生きるだけでも気力と努力が必要なんだなと、最近両親を見て思う
だから、やりたいことがあったほうがいい。「今できるやりたいこと」を見つける才能があればいい
じゃあどうやって見つけたらいいのか、そこで標題にたどり着きました
時間を能動的に捉えること、受け身ではなく、自分のものだと思うことで、やりたいことが見えてくるんじゃないかな
これまでの私は、勿論子育てしていたからだけど、自分のことはとリあえず脇に置いて、こどものこと、家族のことを第一にしてきました
ライブに行きたいなと思っても、行けるように何かアクションを起こそうとか考えなかった
それは、子どものころからのくせだったんじゃないか、とふと気づいたんです
子育てを理由に一番やりたいことはしないで、したら罪悪感を持ってしまったり
一番欲しいものは買わないで、2番目に欲しかったものを買ったり
禁欲的、で、それが美徳だと
子育てしていた時はそれでよかったのでしょう。でもいつまでもそうだと人生が受け身になってしまう
そしてその姿勢が、だらだらとネットサーフィンをすることにもつながっていると気付いたんです
つまり「するべきこと」がないと動くことができない、誰かに支配されないと時間をコントロールできない自分に
時間は本来自分のものなのに、今までは家族に捧げていた
それは仕方ないことだったと思うけどこれからはちがう、自分のものと認識できたら時間は大切にできる。自分のやりたいことに時間を使うことを意識する
これは受け身で勉強している子どもを見て気づいたことなんです
彼は「させられている」から、机に座ってもなかなか勉強できなくてゲームばかりしている。時間を支配されてしまっているんだなと
意識を変えるだけのことだと思うんだけど、とりあえず私がやってみてから教えてあげようかなと思ってます
何を書いてもなんでかいつも最後には「時間」がテーマになってしまうような?