子育て期の怒涛の日々をふと思い出してみる
4人目が出来た時が勿論、体力的に最も大変ではありました
でも、育てているときは常に全力なので、長男一人の時であろうと全力です
次男が生まれて2人になろうと3人になろうと、私が2倍3倍の力を出せるわけがないのでどこか力を抜きながら全力を保つ
大変さの度合いを具体的に数字で表すならば、長男の時を1とすれば、次男が出来たら+0.5で1.5、三人目が出来たら+0.25で1.75、4人目が出来たら+0.125くらいで1.875
結果、4人の子育ては長男一人の時に比べて1.875倍くらい大変でした。私の感覚では
なんだ、4人産んでも2倍にならないのか、と思うかもしれませんが、そもそも長男の1でも大変は大変なのですから
そして今同じようにやれと言われても到底無理で、若かったからできたし頑張れたのだと思う。今なら一人でも長男の2倍くらいしんどいでしょう
そして表題の4人目の子育ては楽、とは、「らく」ではなくて「楽しい」という意味です
何事もそうだと思うのですが、「楽しい」と感じるかどうかは人によって違っていて、同じことをしても楽しいと感じる人と、苦痛だと感じる人がいるでしょうから、私の感覚がすべての人に当てはまる感情ではないでしょう、当然
子育てにおける精神的なしんどさは、私の場合は3人目で0「ゼロ」になり、4人目では-「マイナス」になったのです
マイナスになったとはつまり、おむつ替えやら寝かしつけ、散歩などの子育ての手間が、しんどいものではなく「お楽しみ」になったという意味です
うんちをしたら喜んでおむつを取り換える、という意味です
おむつ替えは、目をつむってもできるくらいにスキルが上がりましたし、おむつかぶれも対処はバッチリ。大がでたら「わー沢山でたね!」と笑える楽しいこと
母乳をあげる時間は、どんなに部屋が散らかってようが上の子たちが何かしてくれと言おうが横になれる時間
「ママはお乳あげないといけないから今はむりー」とすべての用事をしないでゴロンと横になれる至福の時
寧ろ、泣いてくれてありがとう!しばらく休めるわ、と感謝する
これはとても不思議な感覚でした。面倒だと思っていたことが全て楽しみに変わったのですから
つまり、母乳をあげるとき以外は家の中で忙しく動いていたということで、「忙しくて目が回る」は比喩ではなくて実際の感覚だと知ったのもこの時期です
食事中、子どもがコップの飲み物こぼすことについて、3番目から予測して未然にふせくことができましたが、3番目の時と違うのは、こぼすだろうと思っても放置したことです
こぼれた飲み物でバチャバチャと手でたたいて大喜びだし、しばらく(15分ほど)遊んでくれるのでその間放置できる
その遊びに飽きてきてぐずったら、濡れた服を着替えさせてチェアの座布団を取り換えて洗濯機にポイといれて床を拭けばいいだけ
長男には絶対にこぼされないよう蓋とストロー付きのコップで飲ませていましたが、あれは必要なかった、と
でもこれは、私が長男の時に狭量だったわけではなくて、このとき
日常>飲み物をこぼされる
だったんですね
飲み物をこぼされることが些細に感じられるくらい、日常が怒涛だったわけです
なんて大変だったんだ、我ながらよくやった
でも楽しかった
そんな日々も今はただ懐かしく、モノクロ写真のようにあったかーい表情で心の中に残ってます