onco chishin

4人の子育てについてとその他いろいろ

読書日記(6)

今回はこれです

人工受精、代理母をテーマに描かれた作品でした

何の苦労もなく4人の子を子宮に宿し、無事に出産できた私が何か語ったところで、誰にも何にも響かないテーマだと思うのですが、とりあえず書いてみます

 

自分の遺伝子を残したい夫と、子どもが望めない体質の妻。夫婦は葛藤の末に妻に似た女性(田舎から東京に出てきたものの、大した学歴もないため非正規でしか働けず将来を悲観している)に代理母を依頼するというお話

女性の子宮をお金で買ってもいいのか

その夫のように、自分に自信がある人が、自分の遺伝子を残したいと思うのは理解できる。でもその欲望は、どのような手段であっても叶えてよいものなのか

人はなぜ子どもが欲しいと思うのか。私の場合はただ、『普通』の人生を歩みたかった。だから結婚して子を産んだ。それ以上の理由は特にないと思う

しかしその「普通になりたい」欲望(?)は、子どもを産んでも満足しなかった

幼稚園に入ると他人の子と自分の子を比べ、劣等感を感じたり優越感に浸ったり、自分の子が普通だと安心するし、普通でないと心配する

もし子どもができない体質だったなら辛かったと思う

日本において普通であるということは最重要課題で、両親からも社会からも普通であれと圧力がかかる

ただ私たちは価値観が変わりかけていた世代で、女性も結婚へまっしぐらではなく、学歴を付けたならキャリアを積む方がいい、と思われていた世代。だからか、友人の半数くらいは未婚です

でも最初から結婚しないと宣言していた子は一人もいなくて、なんとなく時期が過ぎちゃったからいいか、という子がほとんど。いずれは結婚して子どもを持つべきだと皆考えていた

 

私には子どもがいない叔母がいます。叔父とも仲が良く、自分の両親よりも夫婦仲が円満に見えたので、子どもがいない方が夫婦は仲よくなるのでは?と子どもの頃ひそかに思っていました

そして叔母はとっても優しい人なので、叔母に子どもがいたらさぞかし子どもは幸せだったろうにとも

子どもは親を選べない。親として優秀だから子どもを授かるわけではないのだなと

かつては不妊治療などもなかった時代。叔母は辛い思いをしていたのではないかと思う

しかしこの小説では、叔母のように生体的に子を産めない女性と、貧しくてそもそも結婚することも想像できない、子を安心して産めない状況にいる女性も描かれている

前者が、普通だと社会に受け入れられるのは良いと思うけれど、後者が普通だと受け入れられてしまったら怖いなと思う

 

そして代理母についてですが、私は絶対にやりたくない

出産はホントに毎回命がけでしたから。4人産んどいてなんですが

出てきたときの嬉しさが大変さを上回るから耐えられるのであって、産んだ子が誰かほかの人に育てられるなら、私は耐えられない

だから、これで経済が回るんだから、富めるものから貧しい者へお金が流れるならいいんじゃない、という考え方があったとしても賛同はできません