onco chishin

4人の子育てについてとその他いろいろ

読書日記(7)

今回の本は

上下巻、これも一気読みでした。もちろん内容が面白かったからなのですが他にも理由が

桐野氏にはまってから1年ぐらい経つんだろか?図書館で予約しすぎると期限内に読み切れなかったら困ると控えめにしていたところ、本が途切れてしまった。依存体質な私は『桐野ロス』に

これはツライと多めに予約したら案の定、借りた本が家に数冊滞留してしまった

寝る間も惜しんで読んでいるけど、またじっくり読みたいです

 

主人公の東一は『イワン村』、人々が互いに愛し共同で生きるという『理想郷』を理念として、東一の祖父が建設した村で生まれ育った若者。しかし自分と同年代の者は皆離村し、残ったのは老人ばかり。『絶望郷』となりかけている村に取り残されている東一は、その村で生きる決意をし、自分の力で村を立て直そうと奮闘する

ただ東一は正義感の強い自己犠牲も厭わない若者なのではなく、そんな人は桐野小説にはまあでてきません

東一はリアリストで現実をクールに分析します。この村にいても自分は高齢者にいいように使われるだけで楽しく生きることなんかできない。お金が欲しい、綺麗な女性と出会いたい、と普通の若者の普通の欲望を持ち、あくまで自分が楽しく生きるために村の問題に立ち向かおうとします

そのやり方がかなり強引で我儘な性格、でもなんだか憎めないしカッコいい男です

またこのお話、桐野作品には目づらしく最後がハッピーエンド的、というか、私は納得の終わり方だったので後味が良かった

 

理想郷なんて現実には存在しないと思ってます

でももしかしたら、将来今が理想郷だったのだと思うようになるかもしれない、とふと思う

誰もが等しく安い医療を受けられて、60歳から年金がもらえてたなんてまさに「理想郷」だと。先日も70歳まで働けとテレビのワイドショーで言っていた

東一の村も理想郷と言って実際は一部の男性と女性たちの献身的な労働で支えられていた。そして彼らが高齢化し村は崩壊が始まる

村を救うのはやっぱり若い世代だと考える東一

ヒロインの真矢は、突如東一の村に現れた美少女で、若い東一は真矢を手に入れたいと思うものの、真矢の心の内を全く理解しようとせずすれ違いばかり。この若い二人のジリジリとした感じも面白かった

ハッピーエンドと言いましたが、村のその後はどうなったんだろうか、とか、二人は将来どうなるのか、とか今後もまだまだ波乱がありそうでそれを想像するのも楽しい

きっと和子と山路は折り合いが悪くなり、昔からいた女性たちも和子に反発するようになるんだろうな、とか

 

「愛がなければ生きていけない厄介な動物が人間」と和子が東一に言う場面がありますが

ホントにその通りだと思うし愛と言ってもいろんな愛の形があって、恋愛、家族に対しての愛、友情だって愛の一部だと思うし不倫もそうだし、推しへの愛とか

私自身の愛情人生を振り返ってみると「家族」→「友達」→「恋愛」→「結婚」→「子ども」→「推し」(今ここ)

人生初の推し活にまい進中なので、和子の言葉が身に染みた

推し活って、人間の本能を商用に利用されてるとわかっているのにやめられないのがやばい

それが人間というどうしようもない生き物なんですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書日記(6)

今回はこれです

人工受精、代理母をテーマに描かれた作品でした

何の苦労もなく4人の子を子宮に宿し、無事に出産できた私が何か語ったところで、誰にも何にも響かないテーマだと思うのですが、とりあえず書いてみます

 

自分の遺伝子を残したい夫と、子どもが望めない体質の妻。夫婦は葛藤の末に妻に似た女性(田舎から東京に出てきたものの、大した学歴もないため非正規でしか働けず将来を悲観している)に代理母を依頼するというお話

女性の子宮をお金で買ってもいいのか

その夫のように、自分に自信がある人が、自分の遺伝子を残したいと思うのは理解できる。でもその欲望は、どのような手段であっても叶えてよいものなのか

人はなぜ子どもが欲しいと思うのか。私の場合はただ、『普通』の人生を歩みたかった。だから結婚して子を産んだ。それ以上の理由は特にないと思う

しかしその「普通になりたい」欲望(?)は、子どもを産んでも満足しなかった

幼稚園に入ると他人の子と自分の子を比べ、劣等感を感じたり優越感に浸ったり、自分の子が普通だと安心するし、普通でないと心配する

もし子どもができない体質だったなら辛かったと思う

日本において普通であるということは最重要課題で、両親からも社会からも普通であれと圧力がかかる

ただ私たちは価値観が変わりかけていた世代で、女性も結婚へまっしぐらではなく、学歴を付けたならキャリアを積む方がいい、と思われていた世代。だからか、友人の半数くらいは未婚です

でも最初から結婚しないと宣言していた子は一人もいなくて、なんとなく時期が過ぎちゃったからいいか、という子がほとんど。いずれは結婚して子どもを持つべきだと皆考えていた

 

私には子どもがいない叔母がいます。叔父とも仲が良く、自分の両親よりも夫婦仲が円満に見えたので、子どもがいない方が夫婦は仲よくなるのでは?と子どもの頃ひそかに思っていました

そして叔母はとっても優しい人なので、叔母に子どもがいたらさぞかし子どもは幸せだったろうにとも

子どもは親を選べない。親として優秀だから子どもを授かるわけではないのだなと

かつては不妊治療などもなかった時代。叔母は辛い思いをしていたのではないかと思う

しかしこの小説では、叔母のように生体的に子を産めない女性と、貧しくてそもそも結婚することも想像できない、子を安心して産めない状況にいる女性も描かれている

前者が、普通だと社会に受け入れられるのは良いと思うけれど、後者が普通だと受け入れられてしまったら怖いなと思う

 

そして代理母についてですが、私は絶対にやりたくない

出産はホントに毎回命がけでしたから。4人産んどいてなんですが

出てきたときの嬉しさが大変さを上回るから耐えられるのであって、産んだ子が誰かほかの人に育てられるなら、私は耐えられない

だから、これで経済が回るんだから、富めるものから貧しい者へお金が流れるならいいんじゃない、という考え方があったとしても賛同はできません

 

読書日記(5)

今回はこれです

その前に読んだのがこれ

たまたま手に取ったこの2冊はシリーズものでした。女探偵、村野ミロシリーズ

前者はそのスピンオフで、ミロの父親である探偵、村野善三の若かりし頃のお話

まず驚いたのが、桐野さんてこんなにカッコいい男性も書けるんだ(失礼)ということ

桐野氏の小説にでてくるのは、男性に限らず女性もみな俗世間的な人たちで(「バラカ」と「砂に埋もれる犬」は例外あり)

だから感情移入しやすく、その俗人間たちが織りなすドロッドロな人間模様がたまらなく面白いのです。この年齢になると

しかし村野善三、桐野小説にあまり出てこないタイプで私のドストライクでした。一昔前のハードボイルド

朝ドラに出てくるような全く毒のない「いい人」でもなく、ドラマの主人公のようなキラキラしたいい男でもなくて、人間的に素敵だと思える漢

ミロの母親との馴れ初めもあってこれがまたよい。どんな恋愛ストーリーより好きなパターンでした

俳優さんが演じるなら誰かな?すぐには思い当たらない

近いのは唐沢寿明さんかな、ちょっとカッコ良すぎるもっと男臭いかんじだけど。永瀬正敏さんかなもう少し堅い感じだけど。20代設定だが若い俳優さんは知らないから思い浮かばない

そしてミステリーといっても謎解きに焦点があるわけでなく、その背景にスポットがあたっている社会派ミステリー(と呼ばれているのだろうか)なのがまた読みやすかった

脳の衰えでしょう、謎解きがめんどくさくて途中犯人を全く考えない。ミステリー読む資格なし

週刊誌のトップ記事を書くフリーライター「トップ屋」。こんな職種(?)があることも知りませんでしたが、彼らの仕事にかける生き様が焦点になっていて、時代は戦後東京オリンピック間近

村野達はよくお酒を飲みなにかと煙草を吸う。この時代に生きていたわけではないけど、昭和の風景って感じ

私の父もヘビースモーカーで、来客があると必ず大きな灰皿を出し、大勢いるとリビングがタバコの煙でもうもうと霞がかっていたことも

父の息がタバコ臭くて大嫌いだった私ですが、学生時代には周りが吸っていた影響で吸っていたことも。今の若い人はほとんど吸いませんね

もちろんそれはいいことと思いますが、代わりに携帯画面をずっとみてるイメージ、我が子を見てですが

煙草吸う人は迷惑ものとばかりに個室に閉じ込められているのを見ると、時代が変わると風景が全く変わるのだと驚きます

10年後にはどんな人が閉じ込められているんだろう。歩きスマホしてる人か、マスクをしない人か

 

警察からも大手新聞の記者などに比べて格下と扱われ、記者クラブにも入れない村野達

報道規制に反発し勘と行動力と危険な駆け引きで真実を暴こうとする。今なら報道規制に従わなかったら国民から非難されそう。今も忖度なしに報道するのは週刊誌ですけど

ただ、週刊誌で報道されても国民は無反応で、テレビなどの大手が取り上げてようやく関心を持ったりするのはどうしてだろう

そしてこの2冊とも搾取される少女が描かれていて、桐野氏の小説にはよく出てくる問題提起ではありますが、これは時代が変わっても変わらない搾取の構図なのはなぜだろう

 

 

 

 

 

 

 

大腸内視鏡検査を受ける

大腸内視鏡検査を初体験したお話を書きます

健康診断は職場で受けるのみでしたが、昨年、母の闘病の様子を見てさすがに怖くなり

年齢的にそろそろやばいかもと人生初の人間ドックへ行ったらドンピシャ、大腸の要精密検査だと診断されてしまいました

そういえば、叔母がちょうど私の年齢で大腸がんで亡くなっている。今思うとなんて若い時に亡くなったのだろうと、叔母が大変気の毒になる

大腸がんは怖いけど検査って面倒だなと思いつつ、近所の病院へ行き検査の日程を決め、色々と注意事項を言われてふんふんと聞いたものの

あまり下準備が得意でない私、ああ、しっかり注意事項を確認すればよかったと思う失敗をやらかす

これから受ける方がいたら是非参考にしていただければと思います

検査当日の朝、下剤を2リットルの水で薄めて飲まないといけないのですが、普通の水を2リットル飲むのも大変なのに、私の作り方が悪くて超マズい下剤に仕上がった

冷蔵庫の中にある浄水ポットの水を使用したら、薬が完全に溶けなかったのです

容器に「冷水では溶けにくい」と、ちゃーんと書いてあったのに見逃してました

1杯目を飲んだ後、底に塊が残っているのを発見。あ、溶けてないわと容器をぶんぶん振って溶かしきったら、そこからが味が凝縮されてしまって海水のように塩辛い( ノД`)

海水1.8リットル飲むのはきつかった。もう一度薄めれば良かったのかもしれないですが、飲む量が増えるのも嫌で

「前日に作って冷蔵庫にいれとくと飲みやすいですよ」とも、ご丁寧に書いてあったのに。次回からは必ずそういたします

その下剤、飲み始めて2時間で飲み切らないといけないのですが、2時間なら余裕だと思っていたら結構ぎりぎりで、飲んでる最中にトイレに頻繁に行きたくなるし、その間に子どもを学校に送り出したりしてバタバタ

気が付くと1時間半たってるのにまだ1リットルも残ってて、これはやばいと最後はごくごく一気飲みのような感じでした。もう吐きそうになりながら

美味しく飲めるように、ちゃんと前日に作っておけばよかった

そして病院へ。連日テレワークの旦那さんに病院まで送ってもらう

車を降りると何故かニコニコと手を振っていつまでも見送ってる夫。入口で警備してる人が「早く車を退けろよ・・・」みたいな目でみていたため私が駆け足で病院へ入る

検査用の服に着替えたら(お尻側に穴のある紙のパンツとロングの羽織のようなもの)問診、麻酔を入れるため針を静脈にさされ、久しぶりの注射がちょっと痛い

全身麻酔も初体験。意識がなくなるって怖いなと思っていると、「全く痛くないし知らない間に終わってるから大丈夫ですよ」と看護師さんがにっこり

ご年配の看護師さん私の心を読んでいました。それで少し心が軽くなる

名前を呼ばれて検査室へ。ベッドに案内され、胃カメラも同時にするということで、ジェリー状の喉の麻酔薬を口に入れられる

5分ほど飲み込まないでと言われ、苦いのが喉の奥にねっとりとあるのを耐えていると、だんだんと喉の感覚がなくなってきた。気持ち悪い・・・

そして酸素マスクのようなものをカポッとはめられたら担当医が来て、よろしくお願いしますとあいさつしたすぐそのあとの記憶がもうはっきりしない

何かを入れられて痛いような苦しいような感覚がうっすらとあって、でもそれがどこから何を入れられて苦しいのか、麻酔の効き始めだったのか、処置の最後の方の麻酔が切れてきたときなのか、全くわからない

治療のためとはいえ、やっぱり寝ている間に自分が何かされていて、その記憶が全くないというのは気持ちの良いものではアリマセン

でも、何か大きな病気かもしれないと気弱になっている私、ベッドの周囲でテキパキと動く看護師さんを見ていると頼もしく感じられて、こうした人達のお陰で病気が治るんだなと、ありがたーい気持ちにもなりました

 

検査後、麻酔が切れるまでマッサージチェアのようなものに座らされていた

でもどうやって座ったのか全く記憶になく、運ばれたのか自分で歩いたのか

一時間たちましたよ―歩けますか?という声に起こされ、少し歩いてみて大丈夫だと終了。できればもっと寝かせててほしかったのですが帰ります

結局ポリープを一つ切除したとのこと。それも検査して結果は後日。またしばらくは繊維のある野菜は食べられないとのこと

何か飲み込むと喉が痛い。胃カメラが当たって傷が出来たのでしょう

旦那さんに迎えに来てもらい帰宅。今日だけはテレワークしてくれててよかったと思う

検査前からの食事制限のおかげで、お腹のぽってりお肉がすっきりとなくなった。やったあ!と思っていたら、1週間後普通の食事に戻したらお腹もきっちり戻る

 

 

 

 

 

 

 

 

4人目の子育ては『楽』だった

子育て期の怒涛の日々をふと思い出してみる

4人目が出来た時が勿論、体力的に最も大変ではありました

でも、育てているときは常に全力なので、長男一人の時であろうと全力です

次男が生まれて2人になろうと3人になろうと、私が2倍3倍の力を出せるわけがないのでどこか力を抜きながら全力を保つ

大変さの度合いを具体的に数字で表すならば、長男の時を1とすれば、次男が出来たら+0.5で1.5、三人目が出来たら+0.25で1.75、4人目が出来たら+0.125くらいで1.875

結果、4人の子育ては長男一人の時に比べて1.875倍くらい大変でした。私の感覚では

なんだ、4人産んでも2倍にならないのか、と思うかもしれませんが、そもそも長男の1でも大変は大変なのですから

そして今同じようにやれと言われても到底無理で、若かったからできたし頑張れたのだと思う。今なら一人でも長男の2倍くらいしんどいでしょう

 

そして表題の4人目の子育ては楽、とは、「らく」ではなくて「楽しい」という意味です

何事もそうだと思うのですが、「楽しい」と感じるかどうかは人によって違っていて、同じことをしても楽しいと感じる人と、苦痛だと感じる人がいるでしょうから、私の感覚がすべての人に当てはまる感情ではないでしょう、当然

子育てにおける精神的なしんどさは、私の場合は3人目で0「ゼロ」になり、4人目では-「マイナス」になったのです

マイナスになったとはつまり、おむつ替えやら寝かしつけ、散歩などの子育ての手間が、しんどいものではなく「お楽しみ」になったという意味です

うんちをしたら喜んでおむつを取り換える、という意味です

おむつ替えは、目をつむってもできるくらいにスキルが上がりましたし、おむつかぶれも対処はバッチリ。大がでたら「わー沢山でたね!」と笑える楽しいこと

母乳をあげる時間は、どんなに部屋が散らかってようが上の子たちが何かしてくれと言おうが横になれる時間

「ママはお乳あげないといけないから今はむりー」とすべての用事をしないでゴロンと横になれる至福の時

寧ろ、泣いてくれてありがとう!しばらく休めるわ、と感謝する

これはとても不思議な感覚でした。面倒だと思っていたことが全て楽しみに変わったのですから

つまり、母乳をあげるとき以外は家の中で忙しく動いていたということで、「忙しくて目が回る」は比喩ではなくて実際の感覚だと知ったのもこの時期です

 

食事中、子どもがコップの飲み物こぼすことについて、3番目から予測して未然にふせくことができましたが、3番目の時と違うのは、こぼすだろうと思っても放置したことです

こぼれた飲み物でバチャバチャと手でたたいて大喜びだし、しばらく(15分ほど)遊んでくれるのでその間放置できる

その遊びに飽きてきてぐずったら、濡れた服を着替えさせてチェアの座布団を取り換えて洗濯機にポイといれて床を拭けばいいだけ

長男には絶対にこぼされないよう蓋とストロー付きのコップで飲ませていましたが、あれは必要なかった、と

でもこれは、私が長男の時に狭量だったわけではなくて、このとき

日常>飲み物をこぼされる

だったんですね

飲み物をこぼされることが些細に感じられるくらい、日常が怒涛だったわけです

なんて大変だったんだ、我ながらよくやった

 

でも楽しかった

そんな日々も今はただ懐かしく、モノクロ写真のようにあったかーい表情で心の中に残ってます

 

 

 

母の日にSupe

もうすぐ母の日です

昨年喜寿を迎えた母、癌で大手術の痛みに耐えて半年がたち

ようやく外に出たいと言えるくらいまで回復しました

私は月に何度か通っていたものの、きょうだいたちも皆離れて暮らし、生活は基本父が支える日々

もちろん母と喧嘩はしつつも、父は自分が頑張らなければと気丈に踏ん張った

疲れていらだつ気持ちをこらえるのは、お互い辛かったことでしょう

それでもいつ訪れても物が散らかっているわけでもなく、家の中の状態は病気前とほぼほぼ変わらず

凄いなあ・・・

老親の気持ちの強さに恐れ入る

 

一番大変なのは毎日の食事です、やはり

父はやろうと思えば自分のことは自分で全てできるものの、母の分の食事も、家事も、となると大変

母も食事を作るまではまだ回復していない。なのでこちらを母の日に送ることにしました

スープストックトーキョーは最近話題ですが、私は離乳食を無料で提供するというお店の取り組みには賛成

子ども(赤ちゃん)連れの外食の大変さは、よーくわかっていますので・・・

離乳食って作るのが面倒なんですよね。便利な瓶詰のも売ってますが、我が子は嫌がって全く食べてくれませんでした

レパートリー工夫できるスキルもないから子どもも飽きてくるし、自分の子育て中にそんなお店があったらもう、大助かりだったと思う

 

お店自体は知っていたものの、実は1回入ったことがあるだけで、これまであまり利用してきませんでした

取り組みを知ってからエールをこめて先日お買い物時に入ろうとしたら、平日でしたがベビーカーの行列ができていて大盛況

時間がなくて結局入れなかったのですが、なんかほっこり

赤ちゃんの横で食べたかったけど、またの機会に

 

 

 

 

読書日記(4)

今回はこれです

夫を殺してしまったパート勤めの妻と同僚の女性たちが共謀して死体処理をするお話

1998年に日本推理作家協会賞を受賞したという本作、ドラマ化、映画化もされているんですね。海外でも高く評価されていると

肩書は十分、退屈な日常をどうにかしたい方にはホントにおススメの本です。これ読みおわったらロスになるなと最後ぺースダウンして読んだくらい面白かった

これがお茶の間で流れてたとはびっくりですが、コンプライアンスとかうるさくない時代だったのか

ドラマ化は99年、田中美佐子さんと飯島直子さんでミステリーのドラマやってたことはうっすらと覚えてるけど全くみていません。飯島さんのキャラは原作にないからアレンジされてるんでしょうね

放送当時、長男が1歳、私は育児という殻に閉じこもり一日を終えるのが精いっぱい

テレビや世間のことには一切興味を抱いてなかった頃

ワンオペという言葉もまだなく、自分のキャリアの可能性を捨てて子育てという役割を一人で受け持つことについても、不安や不満はあれど仕方ないと思っていた

でもそれはそう思った方が楽だったから。受け身になることが楽だったから

当時原作を読んでいたとしたらどう思っただろう

主婦たち4人に共感は全くしなかったでしょう、多分。女も働けという圧も今ほど強くなくて専業主婦はまだ存在が許されていたし

しかも主婦がこんな、旦那殺しなんてあり得ない、弥生のことは浅はかで甘いと思い、邦子には軽蔑し、ヨシエには同情したでしょう

雅子なんて、なんでこんなことするのかと理解できず、カッコいいとも全く思わなかったと思う

それが今、それぞれの事情がちがう4人全員に共感できるし、雅子の自由になりたいという気持ちもすごーくわかる

結局、当時何を観て聴いたとしても、今の自分の気持ちを想像することができなかっただろうし、行きつくところは決まっていたのだと思う、雅子のように

 

で、これは推理小説ではなく犯罪小説でもなく社会派小説(ていうの?)でもなく、純愛小説だと思うのは私だけでしょうか。そんな書評を全く見ないので私は感覚がおかしいのかも

自分と同じ感覚を持つ人を魂で愛してしまう気持ちすごくよくわかる

若くて完璧な美をもつホステスに言い寄られても見向きもせず(猟奇的なところよりここがフィクションっぽいと思う)殺した女を一途に想う佐竹

好きな男に殺してほしいと思う雅子の気持ちもわからなくはない。と言ってもなぶり殺しされるのはさすがに嫌だけど

桐野氏の小説はどれも先が知りたくてハラハラしながら読むので、ドラマ化したら面白いだろうなといつも妄想します

雅子は私は尾野真千子さんのようなイメージで読みました。気が強くて賢そうで俊敏で正義感があるけど現実主義者で目力がある、背筋がすっと伸びてかっこいい女性

佐竹はあんな狂気の人は俳優さんにいないから架空の人物をイメージしてましたが、尾野真千子さんの相手なら鈴木亮平さんとか草薙剛さんとか松田龍平さんなんか、狂気の中の歪んだ愛情をカッコよく演じてくれそうだなと。十文字は菊池風磨

観たいなあ